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自分に都合のいい意見を人は真実だと思ってしまう


ブログ, 雑談 2021年5月6日

最近僕は大学時代に住んでいたアパートから、新しい家に引っ越しました。

社会人生活を2年過ごして、やっとのことです。

もともと住んでいたアパートは、お世辞にもよい住まいとは言えませんでした。

2つ隣の部屋には、夜中ずっと騒いでいる学生?がいたし、

すぐ隣に住んでいるおばさんは、

僕の家のドアの前でたばこを吸っては吸い殻をそのまま捨てていきます。

下の階の男の子は、真夜中に低音の楽器か何かを演奏していたし、

よく色々な女の人を連れ込んでいました。

お金も貯めたかったし、家の広さにも特にこだわりがなかったので、

当初の予定ではあと2年ほどその家に居たかったですが、もうさすがに我慢の限界だと。

そんなこんなで引っ越すことを決めました。

それでまぁここからが本題なんですけど、

引っ越しにあたって荷物を整理していると、

まぁこんなにも沢山のものがこの狭い部屋にはあったのだなぁと気づかされるものです。

そして全部を新しい家に持っていくのは、やはり面倒かつ非効率ですから、断捨離という名の身辺整理を行います。

気付けば1年以上着ていない服だとか、ずっと読んでなかった参考書や教科書などがあったわけですけど、

意外にお宝も眠っていたりして、フリマサイトに出品したら全部で5万円くらいにはなりました。

そしてそんな中、一番捨てるかどうか迷ったのがテレビでした。

え?と思う方もいるかもしれません。

でも僕はテレビの処遇についてこの引っ越しで一番悩んだのです。

それこそ、新しい部屋をどこにするかより。

コロナウイルスと一緒に生きていかなければいけないこの世の中、

テレビからはネガティブな情報を受け取ることが多くなっていました。

そしてそんな情報を毎日受けとっていると、自然と気持ちが黒く淀んでいくのが人間です。

仕事柄、世間のことを知っていなくてはいけない立場ではありますが、

反面、そういう風に疲弊していく自分も確実にいます。

そしてよく考えると、テレビは視聴率が命ですから、当然見る人を引き付ける発信の仕方をします。

人は不安に弱く敏感に反応するので、

(ほら、好きな人に自分以外の好きな人がいるなんて聞いたときは、

やっぱり不安でその話にすごく反応してしまう。そんな感じに似ています)

メディアは不安を半ば煽るような言い回しを意図的にしたりするわけです。

だから嘘ではない、けど100%本当なのかと言われるとそれもまた違うような、

そん感じであらゆることを伝えます。

とまぁ長くなりましたが、

そんなことを考えた僕は、結局テレビを破棄することにしました。

テレビを破棄してからの生活はとても快適でした。

以前より少し広い部屋に住んでいるということとも関係はあるかもしれませんが、何となく気持ちが軽くなりました。

そして、今まではテレビから一方的かつ受動的に情報を受け取っていた立場でしたが、

今度は自分が必要な時に必要なだけ情報を「取りに行く」ことができるようになりました。

そしてそこで初めて気づくのですが、テレビを含め、メディアを通して語られる情報というのは、ほとんどが2次情報でした。

つまり、1次情報を受け取った誰かが、自分なりの解釈をして発信しているものということです。

そしてそこには発信者の何らかの意図が必ずあります。

試しにニュースで語られている情報源に自分が単独で触れてみると、

意外に感じる印象が違ったり…

ということがあります。

ある意味、情報に踊らされていることに気づけます。

こんなそんなで、僕は人と情報の付き合い方を少し客観的に見ることができるようになりました。

そしてそれが非常に面白い。

この文章で僕が一番伝えたかったこともそれだったりします。

タイトルを回収しますが、人は自分に都合のいいことを真実だと思ってしまいがちです。

もっと言うと、人が信じるのは「事実」ではなく、「自分が信じたいこと」です。

友達の彼女が浮気しているのを知っていると、今すぐ別れた方がいいなんて簡単に思うし、友達本人にそうも言えますが、

その友達からすれば、彼女が「好きだと言ってくれていた」とか「いつも楽しそうに笑ってくれる」とか自分に都合のいい情報だけを受け入れて、関係を終わらせるべきだという判断は中々できません。

反対に、感動的な意見や、自分の心に響いた言葉など、心を揺さぶられた言葉も正しいものだと断定しがちですが、現実問題そうだとも限りません。

「感動=よいもの」ではないということです。(最近読んだ本の受け売り)

例えば、何かができない自分に悩んでいるとき、それを肯定するような言葉に出会うと感動してしまうというのはよくありますが、

冷静に考えると、自分にとって聞き心地がいいから感動しているだけのこともあります。

感動することの全てがよくないとは言いませんが、

でもその感動の根っこにあるのが、現実と向き合わない自分を正当化するというものだった場合、実はよくない感動かもしれないということです。

さらに言うと、

「できないことができるようになる」ことでも、人は十分に感動できます。

だから同じ感動なら、しっかりと成長できている後者の感動の方がいいだろうというのが僕の持論だったりします。

とにかく、情報との向き合い方はそれぞれがしっかりと考えるべきです。

2次情報を鵜呑みにして、人の意見を自分の意見かのように錯覚して、

気付けば自分の頭で全く考えていないということがないようにしたいですね。

最後に念を押して、

人は自分に都合のいいことを真実だと思ってしまいます。

情報との付き合い方は常に考えていなくてはいけませんね。